PROFILE
2002年入社|愛知工業大学 電気学科卒
刈谷分室所属 グループリーダー
管理職になった
ストリート
ミュージシャン
大学時代の僕が一番熱中していたのが、路上で歌うこと。講義が終わればユニットを組む友人と連れだっていつもの場所へ。近隣のターミナル駅南口に広がる大きな広場は、僕らと同じように音楽に夢中になっている人達の格好のステージになっていて、僕ら(ちなみにユニット名はチャミー)もギターケースを足下に置いて準備をすると、歌い出した。学生時代のいつもの風景。
あのころ、楽しかったなぁ。プロになれるなんて思ってなかったし、目指してもいなかったけど、有名バンドのコピーに加えてオリジナルの楽曲づくりにも熱中した。一回だけ音楽事務所の人から名刺をもらって嬉しかったけれど、結局連絡はしなかった。聞いたこともない名前だったのもあったけど、どこかで、大学を卒業したら就職をするだろうなぁと思っていたし、そのほうが自分にとってリアリティのある将来像だったのか
大学では電子工学を学んでいたこともあって、専門性を活かして自動車関連の仕事に就きたかった。それで、就活の時期になって選択したのが設計者という仕事。でも正直に言えば、会社の名前や規模にこだわりは無かった。大学のキャリアセンターに行って、最初に目についた設計の会社に速攻でエントリー。それが飯田設計だった。本当にインスピレーションで動いただけにも関わらず、このときの選択は正解だったと、今でも思っている。
入社して、最初に配属されたのがカーナビゲーションの開発に関わる部署。もちろん、大学を出たての僕に大したスキルがあるわけもなく、基板の検査という初歩的な仕事から始めて、評価や量産品の改良と徐々に仕事のレベルをあげていった。当時、仕事を教えてもらった先輩には本当に感謝している。なにしろ技術以前に、社会人スキルも乏しかったから、基本の報連相もできていなかったし、検査中の基板を壊しちゃったこともあった…。でも、そんな僕を根気よく育ててくれた先輩には、今でも頭が上がらない。
さて、そんな僕も入社して15年以上がたって、なんと管理職にステップアップ。結婚もして2児のパパに。駅前の広場で歌うことだけが楽しみだった若者が、何人もの部下を育成する立場になっているのだから、人生は分からない。
今の重要ミッションは、なんといっても若手たちの育成…なんだけど、これが本当に難しい。今まで自分の技術向上だけを目指していれば良かったのに、人を育てるってどうすればいい!?必死になって業務の手順を伝えるのだけど、ふと見ると手が止まっている若手がいる。「どうした?」と声をかけると、「分からなくて考えていました」と言う。いやいや、分からなければすぐ聞いてくれと思いつつ、待てよこれは、入社したばかりの自分とまったく同じじゃないかと気付かされた。そうかこれからは、こうやって先輩にしてもらったことを次の世代の子たちに伝えていくことが使命なのだなと思うと、なんだか感慨深かったりして。
今の一番の楽しみは、この先部下たちをどうやって育成していこうかと考えを巡らせること。もちろん、仕事以外でも楽しみたい。会社には昔バンドをやっていたという人もいるから、いっしょに音楽サークルを立ち上げてみるのも面白い。そして、忘年会でみんなの前で披露できたら、きっと楽しいだろうなぁ。